俺は本音では自分のやることなすことについて良き編集者が欲しい/鏡文志
たいぐらいが人生の理想だった。それを志とは言えない。リスクを拒否して安寧のためにでっち上げた志など志と言ってはいけない。立川談志や松本人志など、志という言葉を名前の結びにつけた人々に倣って私も鏡文志とつけた。談志は談を志した、人志は人間を志したが、初めから人間だった? 私は文章文化そう言ったものを志すという点を念頭に入れ文志と。まっ、これもすでにやっている人がいたようなのだが。なんでも一人で決めなきゃいけない個人主義社会は負荷がかかりすぎて大変だ。それでも私は
「責任が嫌だから自由を放り投げたい」
とまではならない。それはやはり私が志を持った人間であるからであろう。本当は志を持っていない人の説
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