冬の思い出/山人
 
どで遊び、午後の日差しになると天気が悪くなければ子供たちだけで下山し寮に戻った。母は私たちが見えなくなるまで表に出ていたようであった。また土曜日まで家に戻れない辛さがあった。小学生の高学年ともなればさして親と離れる辛さはないが、小学一年生からであったのでずいぶんつらいと感じたのである。
 結局当時は十二月初旬から四月末までの間、寮生活をしていた。五月にようやく大原開拓地に向かいブルドーザー除雪が開始され、私たちは寮生活から解放されるのだった。五月連休には小学校で映画が催され、帰りに大福餅をもらって帰るのだった。杉の花粉を煙幕だ、と言い、遊びながら帰路に着いた記憶がある。
 父の希望と夢のために私たち開拓地の子供たちは冬場寮生活を強いられてきた。その理不尽さを呪ったこともあったが、いまさらどうにもならない。母は二年前に他界し、父は未だ酒を嗜み酔えば何十年も前の事を一人語りしている。
 私の生誕はその大原開拓地であり、厳冬の二月に生れた。まるで冬から生まれたかのようでもあり、ずっと冬しかなかったような気もしている。
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