だからわたしは殴られる/室町 礼
自身のもの
になる権利が保障される。」(マルクス『資本論』第1部617p)
この「生産手段」と「生活手段」という腑分けがよくわからない。
生産と生活をこんな風に分けられるの?と思った。
そりゃ言葉では分けられる。言葉は現実の事象やモノをいくらでも
意味として細分化できる。意味を限りなく分節できる。
でも、それによってわたしたちは事実を見失うことはないのだろうか?
「生産手段」というのは田畑とかそれを耕す鍬(くわ)や犂(すき)などのことでしょうね。
耕すための人力(労働)も入っているのでしょう。
漁師なら舟、竿、釣り針、ランプなどかな。同じく人力は必須だ。
「生活手段」とは耕
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