大阪文学学校体験記/室町 礼
徒だった)で祝賀会があり、文学学校の校
長で詩壇の重鎮である長谷川龍生以下、金達寿、金時鐘、
金石範という大物在日文学者も顔をみせていた。
例のヒステリックな女は玄月の横にぴったり座って恋人の
ように振る舞っていた。
深刻な理由は割愛するが、わたしは韓国朝鮮人が嫌いだっ
た。そこで、その席で徹底的に韓国朝鮮人を非難した。玄
月の幼稚な小説もこき下ろした。たちまち、料亭の二階座
敷は乱闘の場になり、孤立無援、わたしは全員から袋叩き
にあって二階の階段からつき落とされた。
よくまあ救急車がこなかったものだと思う。身体中打撲だ
らけで鼻血を出してとぼとぼと歩いて家に帰ったのを覚え
ている。
ひとりだけ、生徒のひとりが追いかけてきて裸足で歩くわ
たしに靴を渡してくれた。
この詩人はAが唯一敬愛し尊敬する無名詩人で、無名ながら
きら星のような詩を書きその後早逝した。
そのことがあり、結局わたしは三学期の終了を待たずして
二年半で大阪文学学校を放り出された。
今から思うと殴られっぱなしの日々だった。
戻る 編 削 Point(5)