ナレーション魂?/鏡文志
ないが、我々は常に全体の中を生きる部分の一つ一つであり、全体を無視して部分のみを語るメディアに触れ続けても、脳が偏りを生むということにどこかで気づき始めた。
大瀧詠一は音楽だけを語っただろうか? 確かに音楽についてのみを語っていたかも知れないが、音楽を通じて全体像を見渡すような、もっと深く広い視野を持っていたからこそ、生半可な社会的運動に自分も乗ることはしなかったのではないだろうか?
専門職というものを否定はしない。グレンキャンベルや、トムジョーンズは、ベトナム戦争が起きようが、政治的社会的な問題に覆われている時代においても、愛の歌だけを歌う。それが悪いとは言わないけれども、公というものに携
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