ずっと好きでいられますよう/由比良 倖
っている。そうじゃなくて、具体的に自分が何に惹かれ、何を好きかに、人生の意味は掛かっているんだって。
老子や荘子が言うように、世界には本当は名前がなく、全ては一様にたったひとつのものなんだ、というのは、あまりにも当然のことで、それは既に僕の世界観の底に、でんとある感じだ。禅が同じように、物ものには区別がなく、全ては有るようで無く、本当は無いのだけど有るように感じるだけだと言うのも、常識の範疇だし、空海が全ては言葉(真言)だと言ったのも、それはそうだろう、と思う。
本居宣長が、そういう中国や仏教の教えを真っ向から毛嫌いして、全てが「物のあわれ」だ、と言ったのには、なかなか一蹴出来ない
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