数式の庭。原型その1/田中宏輔
の数式の庭の限界だと、わたしは考えたが
この数式の庭自体が
喩的には
世界であり
わたしであるのだから
これは
同じものを対象にして
同じ概念を適用しようとしているとも言えるものかもしれない。
あくまでも
喩的にではあるが。
しかし
そもそも
世界も
わたしも
この数式の庭というもの自体も
喩的な存在なのだとしたら
いったい、わたしは
なにをよりどころにして
言説すればよいのであろうか。
もしも
あらゆる言葉も
数や
記号も
全的に喩的なものであるというのならば。
*
疲れていたのだろう
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