夏にあう、かんじ/鏡文志
 
っているので、廊下にあるソファーに座って、床の無言に耳を済ます。
「雑往来雑母 雑往来不応勇」
床があることによって、体がその下に落ちずに済んでいる。逆に言えば床がなければ、土の上に立っているかも知れないので、卵が先か鶏が先かの論になるかも知れない。世の中は大体が適当でいい。雑が往来しているのが世の中だから、心配ない。That’s Airlightと言うわけだ。沈黙が誘うのは、音ではなく作者自身が歌う歌である。結局音の解釈というのは、耳に勝手に入って音が鳴り響くのではない。耳がそれを解釈して音を鳴り響かすのである。と言うことは、その解釈の過程で、視覚効果は当然にして入ってくる。耳だけが音を拾う
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