The Show Must Go On。/田中宏輔
 
が意識を形成することを示唆している。ヴァレリーが自我というものを、意識のコアとしてではなく、概念のバインダーとして捉えていたが、まさしく、語そのものに結びつこうとする性向があると考えた方が妥当であると思われる。ロゴスという言葉を、言葉という意味ではなく、形成力という意味に使っていたギリシア人たちの直観力には驚かされる。語は、それ自体、意味を持つものではあるが、同時にまた他の語に意味をもたらせるものでもある。双方向的に影響し合っているのである。鷲田清一の『ひとはなぜ服を着るか』に、「本質的に顔は関係のなかにあるのであって、けっしてそれだけで自足している存在ではない」とあるが、「顔」を「語」あるいは、
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