Ommadawn。/田中宏輔
 
に生きているものであり、その偶然というものは、どちらかといえば、量的な体験ではなく、質的な体験においてもたらされるものだからである。驚くことがいかに人生において重要なものであるか、それを機械が体験し、実感することができるようになるとは、とうてい、わたしには思えないのである。せいぜい、思考の「型」とか「傾向」とかいったようなものをつくれるぐらいのものであろう。それに、たとえ、思考の「型」や「傾向」とかいったようなものを、ソフトウェア化することができるとしても、それらから導き出せるような思考は、単なる「習慣的な」思考であって、そのようなものでは、『マールボロ。』のようなものをつくり出すことはおろか、『
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