詩小説『雨の日の猫は眠りたい』その3。+あとがき/たま
だ。そんなわたしの意識がどんな場面に遭遇しても、意識でしかないのであれば観念的でないと、抽象から具象へと変化する一瞬の瞬きを捉えることができないはずだとおもう。その一瞬の瞬きが途切れることなく今日という日を積み上げて、過去になり具象化されてゆくのだから。まるで新作の映画を観るように。
そうなると詩や小説もおなじで、一行先は未来であって読むことができないから、いま目で追っているこの一行を観念的に捉えながら、つぎの一行を予見しつつ具象化しようとするが、その一行先がどこまでもつづくとしたらそれは終わりのない小説、つまり、わたしの一生は小説ではなく詩であるということになる。
しかし、それでいいのか
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