多作であること/岡部淳太郎
を救うために、僕は詩を書いてきた。実際、詩を書くことで救われた感覚はあったし、そのことで延命出来たという感じはあった。詩を書いていなければ僕は無でしかなかったし、それは社会人というものになってからも変らなかった。むしろ、その感覚はますます強まったと言っていい。学生の頃には曖昧だった人との差異というものが、年を経るごとにいよいよ露わになってくる。社会に出るということはそういうことである。僕は社会人になってからもまともな職に就けなければ、当然結婚するなども考えられなかった。人生の落後者としての様相をますます強めていった僕は若い頃以上に詩を書いているという事実に頼らざるをえなくなってきていたのだ。僕は自
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