多作であること/岡部淳太郎
 
 何日も詩が書けないと不安になる。これは昔からそうだが、特にインターネットを通して詩を発表するようになってからはその傾向にますます拍車がかかったように思える。そのため、年間100篇とか詩を書くようになっている。要するに多作なわけだが、おそらく多作であることは僕の詩を書く態度や動機と直結しているように思える。どういうことか。
 正直に言えば、僕が詩を書くのは自己救済のために他ならない。若い頃から現在に至るまでずっと社会不適合者でありつづけた僕は、社会の中で自らを証明するすべを持たなかった。詩を書こうと思って書くようになったわけではなく、中学生の頃に何となく日々の懊悩を吐き出すようにして日記をつけて
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