語の受容と解釈の性差について。──ディキンスンとホイットマン/田中宏輔
ようなものでできているのだろうか。そんな針をいくつも、たくさん、わたしたちは持っているのだろうか。しかもその針に磁力をもたらせる磁石の磁力の種類は二種類とは限らない。いくつもの、たくさんの種類の磁力が、磁極が存在するのであろう。磁化されたわたしたちの鉄の針もまた、他者の鉄の針を磁化することになるであろう。互いに磁化し、互いに磁化される、そうした、複数の、おびただしい数の針と磁力からなる、わたしたちの魂の層の複雑さに思いを馳せると、認識の眩暈がする。
ところで、無数の針でできた魂といえば、かつて、わたしが書いた、わたしの詩句を思い出す。「わたしとは、棘(きよく)皮(ひ)を逆さに被ったハリネズミである。」しかし、これは真実からほど遠いものであったようだ。真実は、こうだったのだ。
「わたしとは、無数の針である。」
と。
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