鏡像 【改訂】/リリー
 
すると頭上から声がした。
 「ああ、もう蕾が膨らんでるなあ! 咲いてるのもある」
 新館二階の渡り廊下の窓から男性が、自販機の側に植わっている桜の木を見
 ているのだ。
 「えっ?」
 私も、その木を見る。太い幹の樹皮は、薄曇りな空からの陽差しを集めて渋
 い光沢を帯びていた。伸びる枝先のどこにも、ほころぶ蕾などは見えない。
  どうして? ……どこに、春が来ているというのだろう。もう一度、今度は
 渡り廊下に居る入居者さんの目線を追ってみた。
 「嗚呼っ!」
 やっと私にも、それが見えた。やっと、自分の目の高さから上を仰ぎ見れ
 ば、違う現在はあるのだと気付いたのだ。

  そして一ヶ月後、敷地内の桜が散った頃、私はもう施設にいなかった。




          【次回へ続く】
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