ヨル/リリー
 
 暗闇の中には沢山の物語がある


  パリの老いた靴作りが
  ハンチングを傾けてかぶっているのは
  むかし街の女に
  とても粋だわ と口笛を吹かれたからという話

  それでその靴作りは
  女房も持たずに年取って寂しい咳をしている

       ★

 オンザロックのグラスの中には沢山の物語がある

  何の木か
  雑木林の中を歩くと
  木もれ陽がさして
  レインコートの男の後姿がいつまでも映る話

  きっと落ち葉の頃に違いない
  女に偽りの恋をしかけて成功して
  偽りの涙で別れた男の後姿の薄いこと

  離れていくに従って男
[次のページ]
戻る   Point(10)