『斎藤茂吉=蠅の王(ベルゼバブ)論』。/田中宏輔
 
何の変哲もないこの歌が、「卵」を「赤ん坊」の喩と解することによって、「ひとりでいるとき、赤ん坊を茹でていると、煮えたぎる湯のなかで、その赤ん坊の身体がゆらゆらと揺れ動いて、それを眺めていると、じつに楽しい気分になってくるものである」といったこころ持ちを表しているものであることがわかる。


汝兄(なえ)よ汝兄たまごが鳴くといふゆゑに見に行きければ卵が鳴くも(『赤光』)


「卵」を「赤ん坊」と解したのは、この歌による。

 拙論にそって、斉藤茂吉の作品を鑑賞すると、これまで一般に難解であるとされてきたものだけではなく、前掲の作品のように、日常詠を装ったものの本意をも容易に解釈することができるのである。




*引用された短歌作品は、すべて、斎藤茂吉のものである。

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