「解放」の淋しい心地良さ/岡部淳太郎
 
ありはしないだろうか。少なくとも、そのような可能性について少しは考えてみてもいいように思うのだ。
 だから、我々は「解放」を必要とする。枯葉が枝から離れて落ちるように、樹木の一部としてではなくただ一枚の枯葉として落ちる自由があってもよい。そうやって落ちて、地表に力なく横たわる時、その瞬間の淋しさと同時に味わう奇妙な快楽。すべての自らを規定し縛ろうとするものから離れてただの自分自身であること。そのような境涯にあっては、もはや何をしても、何もしなくても、いいのだ。それはある種の恩赦。人であることの罪から逃れられる永遠なる一瞬。我々はすべてから赦され、すべてを赦せる境地に立つ。我々はただ一枚の枯葉として落ちながら上ってゆく。そこでは孤独でさえもどこか心地良いのだ。



(二〇二〇年六月)
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