ムイグヮー/AB(なかほど)
 


戦争からそのまま
ブリキの道具もそのまま
生まれる前の ずっと前のことなのに
そのまま 
かん高い機械音に見上げた空に
超音速の飛行機雲が南へ伸びていました
そのころ 街の方では

  「那覇市小禄 聖マタイ幼稚園横の下水道工事現場
   で、打ち込まれたパイルが当たり不発弾が爆発。
   作業員三人と女児一人が死亡し、三十四人が重軽
   傷を負った。
   旧日本軍が埋めた地雷であった。
           (一九七四年三月 琉球新報)」

ムイの下の沼地が
サトウキビ畑に変わりました
おそらく壕は閉じられたでしょう
復帰から二年
島が翌年の海洋博で昂っている頃です

今ではもう ムイ自体なくなりました


   
戻る   Point(5)