私の言葉/武下愛
 
を乗り切るのに必要なのは、なんだろう。安直な言葉では語れない現場が、何時も広がっていても。そこに居れば意味があるのだろうか。存在するという事は、空間的な脳内の縮図だとしたら、今、世界はどれだけの事をなすのだろう。

ねぇ、感動してる?表現するという事を諦めない限り、表現は裏切らない。諦めるのは何時も自分。人の事ではないから、作品に対する姿勢が見えてしまう。自分の作品一つくらい、自分でも守れ、脇役よ。そう自分に良い聞かせる。

プロットが建たない。どうしてもプロットが建たないとき。書く気になるまで書き続ける。そして休んで、また書き始める。私は後どれだけうみだす事ができるのだろう?

影響するせかいだから。私達は連なりとしてではなく、表現者は、化学式として存在している。言葉は元素。どんな組み合わせがあるのかではなく、どんな組み合わせを生み出せるのだろう。
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