詩はどこにあるのだろうか/山人
 
あることが多く、あとで詩文にしてみるとなんと凡庸になってしまう場合も少なくない。これだっ!という刹那な瞬間は時間とともに愚鈍な詩句に落ちてしまうのである。どこかにある詩は、やはり脳内に収めておくのが良いかも知れない。何かのヒントを書き留めておくことも優位ではあるが、メモすることで脳内の詩へのエネルギーが、メモした安心感で、極度に落ちてしまうものだと知ったのである。詩を見つけたら、まず脳内に保管するという作業が大切であると思うのだ。
 いうなれば私の詩のスタイルは古い詩ということになるだろうが、古い人間なのだからしょうがない。二〇台の感性で詩を書けるはずもないからである。だからといって老害などと蔑まされる筋合いもないと思うのである。まぁ、単なる若さへの僻みでしかないのであるが。
 
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