寺山修司フェア(ハルキ文庫)/藤原 実
 
術的交流体」の意識、これは単に批評的態度というものではなく実作者としての遠藤の意見だと思います。なぜなら、




私は一人の作家がまず過去の芸術的遺産から影響をうけながら、それを彼に負わされた状況と時代の神話の中で屈折していく、その屈折度を調べたい。たとえば堀辰雄がプルーストやモーリャックの影響をうけながら『風立ちぬ』や『菜穂子』を書いた時、たしかに彼は知らずしてプルーストやモーリャックを東洋的汎神論の中に屈折していたのである。ここに彼の独自性があるとともに、彼の日本人作家としての状況があるのだ。(同上)



と堀辰雄に仮託して語っていますが、これは日本人でありながらカトリック作家でもありえるか、という遠藤周作の生涯のテーマとも通じるものなのではないでしょうか。

引用したエッセイは講談社の「遠藤周作文庫」の一冊『文学と芸術』におさめられていますが、この文庫自体は二十年以上前のもので絶版。たぶん全集などにはおさめられていると思うのですが。



(初出:2000/04 @ニフティ<詩のフォーラム>●詩歌図書館●)




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