転勤/やまうちあつし
はずだ。
動揺を隠せない私に対し、その人は言葉を続ける。心配はいらない。君のほうでも私のことを、すっかり忘れることになる。これまであった出来事や交わした言葉、私という存在まるごと全部、きれいさっぱり消えてなくなる。だからなんにも寂しいことはない。そういう種類の転勤なんだ。
その人はやめていたはずの煙草に火をつけ、深く吸い込む。河原は橙色に染まって、何者かが絵の具をぶちまけたよう。こんな夕暮れは、後にも先にもないだろう。一昨日も明後日も、経験がない。
その人の言うことが確かなら、これからの日常に何も変化は起こるまい。いつものように仕事をし、たまには誰かとこのように河原を歩き、腹が空いたらコロッケやおひたしを食べ、寝て起きる生活が続くことだろう。思い出すべきことは何もなく、何の欠落も存在しない。
それならばなぜ、わざわざ説明をする必要がある? 私は私の親友に、半ば食ってかかってしまう。彼の人は煙草の煙を、ゆっくり吐き出しながら言う。魂に入れ墨を刻むためだよ。
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