たもつ家のほうへ ? たもつさんの詩の印象 2 ?/佐々宝砂
 
くないのであった。だって答えを出してしまったらつまらんでしょー。つか、答えなんて出せないものでしょう、出せるならば、たもつさんだってきっとずばり書くのだ。そのものをずばりと名指しできないからこそ、たもつさんは「一杯の牛乳」と、あるいは「牛」と書く。私はそこに詩を感じる。

それにしても、ひとつ疑問に思うことがある。たもつさんの詩の登場人物たちは、ほんとうに「一杯の牛乳」を手にしているのだろうか。それは詩の中においてすら、非現実の幻なのではないか? たもつさんの詩の登場人物が失ったものは、ほんとうは妻でも娘でもなく、実は「一杯の牛乳」のほうなのではないか?

とやたらに疑問を発しつつ、曖昧にこのヒヒョーもどきは続くのである。次はエレベーターに乗りましょう。上にゆくか、下にゆくかは知りません。 
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