零歳児とともに/葉leaf
を分かち合っている。出血が止まらないと妻が不安げな声を上げた日もあった。妻が風邪をひいて土砂降りの雨の中濡れながら帰った日もあった。零歳児よ、お前がいまそこに在るということについておびただしい物語が接続している。間歇的にやってくる「俺は幸せだ」というみなぎりについて何も語ろうとは思わない。むしろそのみなぎりについては語るべきことが何一つない。帰宅すると妻が今日あった零歳児のことについて楽しそうに話す、それを私も楽しく聞く、それだけのために日々を生きてもいい。こうして実践そのものが哲学である日々は今日も続いていく。
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