東京五輪に足りなかったもの/足立らどみ
も「すごいね」で終わってしまう。選手が頑張り、サポートする人がいて、それらに気持ちを乗せて応援していく。皆のベクトルが同じ方向を向き、メダルを獲得したり、うまくいかなかったりといったドラマに集約される。そこに感動=スポーツの意義は瞬間的に生まれる。
スポーツは本来、理屈抜きに人を感動させる力がある。どのような過程を踏んできたか、共有できていたかが最終的に感動を広く深く喚起できるかを決める。閉幕後、国内で東京五輪に関する会話がどこか色あせたように感じるのは、「みんなでやった」という感覚が決定的に足りなかったからではないか。
世の中はスポーツに関わる人ばかりではない。その人たちに対しても過程を過不
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