スニーカーの思い出/番田 
 
はいたけれど、あくまで消耗品としての購入であり、当時ほどの、心を奪われるようなほどの思い入れは消え失せていた。


今はそれ以上に魅力的に思えることを探しだすことのほうがすこしだけ難しい。そして、酒に溺れてみても、タバコをふかしてみても、同じだった。自分以外の誰かを応援することに夢中になれる人というのが世の中には少なからずはいるものだ。自分のパーソナリティをそうすることで主張するということは、平凡だが、ある意味楽なことでもある。最近の僕はなにかに夢中になれないのならそうすることも一つの方法なのかなと考えているのである。

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