ぼくの脳髄はカンシャクのステップを踏む/藤原 実
つき落とす。「だからって、お前の道案内をぼくがするわけじゃないよ(同)」、なぜならオマエはぼく自身だ。そしてオマエは「高々ととびあがることだってできるのだ(同)」から。
・・・・・・ もちろん、これらのことはアヤマチにちがいないと思う。
ただ『無門関』という古い中国の坊さんの書いた本を読みながら、なぜかしきりと詩のことを考えたのだった。その不思議さを言いたかったのか。西脇順三郎風に言えば、ぼくの脳髄が存在することのジレンマに耐えかねて、自殺したがっただけのことかもしれないが。
もう一度探し出したぞ。
何を? 永遠を。
それは、太陽と番(つが)った
海だ。
(ランボー『永遠』/堀口大學訳)
初出 1999/01/22 ニフティサーブ「現代詩フォーラム」
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