コミュニケーションと詩/朧月夜
衆の中で一個の純粋な「目」になっていた、と言うことができます)。
孤独を求めた詩人は多くいます。あるいはエミリー・ディキンスンなどの名前を知っている人も多いでしょう。宮沢賢治の生き方にしても、文学界を捨てて庶人という孤独の道を選んだ結果だと言えます。孤独を選ぶというのも、あるいはコミュニケーションの一つの形なのかもしれません。
一つだけ言えることは、詩あるいは文学作品というのは、多くの他者(あるいはその像)の集合としての自己の発現だということです。人は一人だけで生きているのではありません。その自我の形成にも、多くの他者や自然の事物が関わっています。まさしく、詩とは作者の生き様であり、いかに生きたかの証左なのです。言葉を求めて言葉を失うということも、あるいは詩人にとっての一つの答えかもしれません。もちろん、言葉を紡ぎ続けることも、その対極にある答えです。
コミュニケーションと孤独とは、それぞれが対極にあるようでいて、実際は似通っているものなのではないでしょうか。
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