美しい女/黒田康之
あった。
僕はまたも本を置くと
グルメ雑誌のコーナーに歩く。
平積みの雑誌をペラペラ
それを置くと、棚の向こう側には彼女の
紺色の事務服っぽいスカートとカーキーのダウンの裾があった。
今見ていた老舗の煮込みも銘店のおでんも
ちょっと工夫されたおかずの数々も全部彼女の手料理であることに気がつく。
実にこなれたいい匂いが僕の空間を満たす。
僕の目の前の徳利の本数だけが増えていく。
美容雑誌を読んでいる彼女を横目で見る
仕事帰りなのだろう、地味なスニーカーを履いている。
紙とインクの匂いはいつのまにか彼女の髪と肌の匂いだった。
僕はお目当ての一冊だけを手にレジにたどり着いた。
慌てた手つきで支払いを済ますと
僕はそそくさと店を出た。
当然、あいさつも会釈もなく
彼女とは離ればなれになった。
十年も愛の暮らしをしていたような時間が
あの本屋にはあった。
見知らぬ彼女は美しかった。
知的で穏和な視線以外何も知らない。
だが
彼女が美しくないとしたなら、
僕は誰を美しいと認めればいいのだろう。
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