かつて、相模大野で/番田
。そして階下では、米兵が暮らしていた。JBLスピーカーの音がうるさい僕のことを迷惑がっていた。音を鳴らすと、時々彼は、出ていった。彼はインターネットで、アメリカの家族と話をしていた。僕と、でも、きっと歳は同じぐらいだったのではなかっただろうか‥。
駅からアパートへ向かう道の途中に、若い夫婦が経営している八百屋があった。彼らから時々そこで、イチゴを買ったりしていた。卵などは、期限が切れていたものを。若手ミュージシャンのライブ演奏を、駅ビルの構内で休日は見たりしていた。ただ、通りかかっただけだったことも、多かったのだが。若い歌手が、やはり、そこでは歌っていた。腐りかけのバナナの入ったスーパーのビニールを、そして、僕は抱えていたのだった。
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