気まぐれな時計のリズムはメトロノームでとらえられるのか?/ホロウ・シカエルボク
 
からがこうで、どこまでがこうだなんて、あれこれ制限を設けても仕方がない、形式的なこだわりは本質を殺すものさ、有名な宗教を例に挙げるまでもないだろう?イマジネーションにおける制限なんて、生きてるか死んでるかってことだけさ、他にどんな仕切りも要らない…美しい話じゃなくたってかまわない、どこに誰に伝わらない話でもいい、自分自身がそれに手応えを感じるなら、それで万事OKだ、あんまり年寄りみたいなこと言いたくはないけどさ、詩人は歳を取ると、その言葉はどんどん自分にしか分からないものになっていくんだ、自分だけの言葉に、同じ面をした自分だけの言語になっていくのさ、そういうもんだぜ、だから俺は思うんだ、自分がこれだと思うことをやり続けていかなくちゃいけないんだって、コンビニの棚に並べる商品を作ってるわけじゃないんだ、俺以外のことなんか知ったこっちゃない、気に入れば手を叩いてくれればいいし、気に入らなけりゃこき下ろしてくれりゃいい、だってそのどちらも俺には関係がないことだからね、そういうものを、こう…人目につくところにさっと置いてみることもさ、俺はなんだか面白くってしかたがないんだよな。


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