蹴捨坂/月夜乃海花
ある男居き。その男は一見、幸せさうに見えき。金銭に不自在もなく、夫婦も仲良く麗しき娘も居き。されど、男は不満なりき。どうにもおのれの人生はおぼろけなり。そのことに驚きしよりは男はあまりにも生活あぢきなくなりき。さる時なる女に行合ひき。その女は弱くいたづらに、いづこか守らせばやと思はせむさるけはひ醸しいだせり。人は悩み、花は枯れかけたりき。女は男に言ひき。
「我は誰にも心得られず。あな、どうしてならむ。」
女は泣き崩れき。男はその女見、いつしか存在を忘れられずなりき。これを色心地と驚きしは後のことなりき。かくて、女も男のことを唯一の理解者にて、思ふべくなりき。男はいよいよ言ひき。
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