刈り込みと冬/道草次郎
 
ら可燃性のウインドブレーカーを着ているので、一瞬で火達磨になるかも知れない。そうしたら、おわりだ。

くたびれたら、りんごを入れる黄色いコンテナを横にしてそこに腰掛けて火を眺める。しかし、これは悠々たる焚き火なんかではない。煙と寒さと乾燥のせいでとめどなく流れる洟水をぬぐう以外、別段なんの感慨もわかないのである。むしろそれは、倦怠感すらともなう作業である。

しかし、考えてみれば不思議な話だ。火は酸素がないと燃えない。で、人間も酸素がないと続かない。だから、あっちで火が燃えてこっちで自分が息をしていれば、あっちはあっちの酸素をつかって、こっちはこっちの酸素にあずかっている。しかも、それらの
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