母が壊れてしまったあの日から/
 
を思ったのをよく覚えている。


私にとっての母の死は二度目だった。
ずっと死にたい死にたいと繰り返していた母が、最後は死ぬのが怖い、怖いと言って死んでいった。
あれからもう10年以上が経ち、母は今も死に続けている。


母が壊れてしまったあの日から、今に至るまで、私は何かフィクションの中で生きているような感覚を抱えて生きてきた。

自分がここにいることへの違和感。
端から見れば中学生の妄想と変わらない、そんな幼い感覚。
そして、逃げるための言い訳を常に探している自分への、どうしようもない嫌悪感。

どうせずっとそれらを抱いて生きていくならば、書くことで見えるものがあるかもしれない。そんな考えで、思い出したく無い記憶を掘り起こし、吐き出してみた。


「私の中の母」はあの日壊れてしまったけれど、本当の、生身の母は、きっと最後まで必死で生きていたのだと思う。
「なんだったんだろう」に答えられなかった、そのことが、今もどうしようもなく悲しいし、悔しい。


行くあてのない「ありがとう」を抱えながら、私は今日も逃げ続けている。






戻る   Point(12)