Memory Trains?「迂回」/SDGs
でしょうか」TVは暗闇の中に街の光らしい点がところどころにみえる。神戸で1月の午前5時と言えばまだ夜明けまでは1時間以上ある。
その前の年、1994年12月5日に父が死んだ。父の死を期に母の調子も悪くなり、私は東京―下関間を時間の許す限り新幹線で通った。そこに大震災。交通は寸断され、新幹線はもちろん不通。JRで芦屋駅まで行き、そこから明石方面行のバス停まで無残に破壊された街なかを歩いた。明石からJRで姫路まで行き、そこから西下する新幹線に乗った。東京への帰りはその逆の経路を辿った。
そんなある日、在来線が九州までつながったというニュースが入った。運行開始になったのは夜行の寝台特急。一本
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