長い失読の状態について/道草次郎
 
うものがいる。どうしても捨て切れない、割り切れない、断ち切れない想いというものを、自分はあまりに多く持ち過ぎて久しいのだ。

詩を書くことが何なのかはわからない。とにかく、書くことがただ漠として存在している。そして、読めない。読めたら、もう書かないのは明白である。

このような呪術にかかっている者の存在を管見ながらも知り得ない無智、これはやはり、失読よる弊以外の何ものでもないような気がしてならなくはないのだが。
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