苔生した遺跡群の中の「SF(サイエンス・フィクション)」/道草次郎
 
たろうか。つまりそれはなんにでもなり得たし、そうである前に、既に、何ものでも無いそういうものだったという可能性すらある。

そんな懐かしいような不可解なような何かは、今は押入れの奥で埃を被っているはずだ。隣り合ういかり肩の典籍にこれっぽっちも遠慮することなく、そのいくらか安っぽく見える蛍光塗料が放つ光が消える事はない。

たしかにそれが、燃えるような瑞々しい時代の象徴であった事は否定できない。どんな時も、意味の付与を厭う純粋なうつくしさそのものであったはずのSFもまた、年月を経てからは晩秋のカーディガンを纏わずにはおられなくなったという事か。しかしながら、太陽からの風は今なお、この瞬間にもダンボールの暗闇へと達し続けている事には変わりがない。

これもまた、一つの小さなSFだと言わんばかりに。



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