眉のあたりにすずしさの残る少女みたいに/須賀敦子とその「詩集」について/渡邉建志
るため、文字間の空間が、活字化したときにスペースになるものと、ならないものが出てくるが、スペースの有無というデジタルな差異ではなく、どちらかというと息の吸い方に似て、長い息があれば短い息もある、その長さに、あけられた空間は対応しているように思う。それにしても、「人間 が くるしむのは」の人間のしたにあけられた空間のながさに私ははっとする(編集では「人間」の下のスペースは一つ分にされているが、私には一つ半ぐらいには見える)。須賀にとって「人間」という言葉がいかに重要だったかを思い出す。須賀は日本で見つけられなかった「全人間」という問題を追って一度目はフランスへ、二度目はイタリアへ渡った。それほどに
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