眉のあたりにすずしさの残る少女みたいに/須賀敦子とその「詩集」について/渡邉建志
 
じめ、三行分ほど開けてから「詩」の本体がはじまるようにデザインしている。でも、題名と一連目が三行も開いていない、須賀の手稿をながめていると、「詩」としての形態を整えるために編集者が行なったこのような編集が、須賀にとって正しいものであったのか、疑問に思われてくる。また、題名がつけられていない作品についてまで、一行目を題名がわりにして太字そして三行開けでデザインされていることがよいのか。メモのような形のままデザインしたほうがよかったのではないか。
さて、この詩の一連目はすべてひらがなからなっている。30年近くのちに、須賀が発表をし始める散文作品群でも、ひらがなが愛用されているのだが、すでにここにひら
[次のページ]
[グループ]
戻る   Point(2)