言葉と詩についてのメモ/道草次郎
 
」と非常に近接の関係にある。

何かを言っても、そのあとに美しい余韻だけを残すような言葉を、おそらく詩人は探している。或いは探していない。どちらも真であるという事。その事の中に、言葉の真の厚みが存するという逆説の導き手がある。

書いてしまうと大抵は薄まってしまう。しかし、この希釈こそが言語化の醍醐味ではないか。というか、言語というものの特性ではないか。

人は、混沌を希釈しロジックのレールを敷く。生というトロッコ列車に載ったそれは、純々と、着実に蒸留されてゆく。ロジックにおける非ロジック性の上澄みがやがて上がってきたらそれを掬い、さらに煮詰める。すると最後に結晶ができる。その結晶は、
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