詩と詩文(秋の感慨)/道草次郎
 
しかに、やはり運命としか思えない。なんとなれば、アランのこうした示唆はまぎれもなくぼくが毎日職業訓練で感じていることだから。

 電気理論に必要な初等数学にも満たない種々の公式を見るにつけ、イコールを挟んで成り立つその成立条件が、すっかり世界の成立条件として見えてくるのを否定することは今のぼくには出来ない。ホワイトボートをぼんやりと見つめながら、どうしても世界の在り方や、詩の躍動すべきその輝く間隙に思いを致さない訳にはいかないのだ。これはほとんど病気かもしれない。詩に囚われたものの罹る病、詩病だろうか。

 そんな事を考えていたら夜も更けてしまった。明日も早い。感傷に浸るのもこれぐらいにして、現実に戻ることにするのが今はまあ順当だろう。

 常に本を求めてきた人間である自分は、それに嫌気がさしてここ数年は一切それと関係を断ったつもりだったが、こうして振り返ってみれば、人生というものの周到さにはじつに目を見張るばかりだ。

 ぼくはたぶんどうやっても言葉から離脱することのできない人種なのだ。今夜はそんな感慨を締めくくりとし、消灯することとする。




戻る   Point(3)