詩など三編/道草次郎
 
る比喩となり、比喩の木として比喩の風にそよぐ。
そのようにして木は、みずからが木であることを比喩の中にすてて、比喩そのものになろうとする。

比喩の翼がどこかへ自分を連れて行ってくれることをねがうのだ。

しかし比喩もまたひとつの木。ある日の寂しい黄昏時、地に根をもつ翼生やした比喩が飛びさろうとすると、大地は根こそぎ剥がれ、面白がるように浮遊してしまった。そのような世界破滅の愉楽に幾らかはうっとりしていたものの、けれどもそれも所詮は比喩の夢。それにはたと気付いたのか気付かぬのか儘ならぬまま、夢のそのまた夢の遊戯に過ぎないたわむれひとくさり。

なるほど根ざす大地の大元の大元がとてもシンプルなものであることには変わりがない。と、このような夢を木だか比喩だかがまだ夢見ているのだ。

いつまでも草臥れない永遠が、雲間から顔を出し名無しの存在を照らしている。
木も比喩も照らされている。



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