安置室の話など/道草次郎
 
集はざっと見たけれどあんまりよくわらなかったので、それ切りにしてしまった。今もたぶんダンボールのどこかにはあるのだろうが、探すのは一苦労だろう。

ちなみにぼくの父方の大伯母の旦那さんは歌を詠む人だったようだ。この人はぼくと血縁の関係にないけれど、一冊の歌集を出していて我が家にはその時に進呈されたものが今もある。奥さんに優しい人だったらしく、じっさいにそういう優しい歌が歌集には幾つかあった。この本は今、我が家の居間の本棚の片隅に植物図鑑と並んでひっそりと置かれている。

大伯母の死に顔は、死に顔以外の何ものでもなかった。生前そう親しかったわけではないし、会ったのも数える程だった。利発な人で、行動力のある面白い人だったそうだ。しかしながら、多くのことはもはや過去に眠っているか、大伯母を知る何人かの人の胸にしめやかにしまわれている筈だ。

線香をあげ手を合わせた時、ぼくの胸に去来したものはなんだったか。それは、追悼というにはあまりにも複雑なものであった。死者を前にして行われたその黙祷の半分が、過去の自分へとむけられたものであった事をここに告白しなければならない。




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