つまらない雑文/道草次郎
の書く詩が不平家のそれになってきていると思う。というか、もともとそうした要素を多分に持っていると思うが、どうもそれが近頃は気になって仕方がない。
今更何をいいやがる、である。全く、情けない話だ。小手先はたかが知れている。詩は、それを書く人間そのものと思う。つまり、自分は小手先の人間だ。これは、たしかだ。うん、分かっているとも。
詩は、自分そのもの。
こういう考え方を、兼ねてより持つ。ほんものはやはり、違うのだ。それは小手先でどうにかなるものでは無い。
そういう意味で、詩とは、曇りない鏡なのだからよく考えれば有難いものだ。鏡ぎらいな自分も、この鏡だけはつい見てしまう。
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