悪の詩集/吉岡孝次
 
断と

  何であれ
  生きること。公園ででも、
  辻でも。

その、
もたらす寂寥に縫い込まれて
別の一冊にも いつかなるだろう。
ただし悪は栞ではなく
タイポグラフィーの余慶にも書かれていない。


悪の詩集は焚かれたことがなかった。
読まれることはあっても読み捨てられることはなかった。
伏せられることはあっても忘れられることはない、と
綴られる前から判っている。
また「寂寥」か。
「生きてゆくことの寂寥」か。
一代限りで詩人を襲名するのがそんなに嫌か?
でもお前は「そんなの」だ。
同時刻をやり過ごす誰それとも荷は等重量で、
一呼吸あたりの長さもそんなには変わらないのだ。


信書である筈がなくとも
鏃に塗った毒の出処は少しも違わない。
毒の味わいを 深めてゆく。

あしたも晴れるしかない秋の日のように。

戻る   Point(1)