腐れ華/道草次郎
すると信じて。数少ない例を除き、殆どの信仰はこの美に堕している筈だ、と。美を見出さず、しかもそこに美を発見する感動のうちにこそ、心の働きの妙はあるのではないか。お前はお前に定められた泥濘を、批判的な長靴で歩かねばならない。そして、蓮の花に焦がれつつも、泥の人とならねば、お前は本当の意味で奈落へと墜落するだろう。そして最後に、そういった一切の事は蒙昧に過ぎず、霧も、毒花も、美も、妙も一切が無なのだと知るがいい。無のうちにこそ現れやがて無へ帰するものの経緯を、一時を永遠とし、また永遠を一時とする心の働きの中で、謙虚に捉え直すのだ。捉えたら離せ。離したら捉えろ。常に、躍動するものの中に批判と心の信(まこと)を置け。お前は、お前の輪廻をまざまざと引き受けると同時に、何食わぬ顔で睦言さえも交わすのだ。
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