秋耕と幻想/道草次郎
 
ともない気もします。今はひとえに、句作ならびに詩作によるこの掘削が意味を成すのか、果たして、それに掛ける時間がまだ自分には残されているのか、そういう事ばかりが気になります。
 前途は茫々として、瞑目すれば脳の近傍にやたらと蝸牛神経が意識されてしまうのです。眩暈なのか何なのか、判然としない何かがぼやぁとそこには在るばかりです。
 
 こんな、胡乱な月夜はつくづく唄でも歌いたいものです。酒を呑めない自分ですが、自分で自分に手酌酒。そんなのはどうでしょう。
 昼には昼の自分が居りました。明日も、たぶん昼の自分と逢う事でしょう。しかし、今は、夜半の烏。いや、鶴なのです。あの、凝っと見つめていた黒い瞳は、じつは、自分自身だったのだと思います。



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