下山/山人
で、貧相な顔しか写らない。それでも刈り払い機を片手に道標を背に自撮りを試みる。何度か写してみるがどれも醜い顔ばかりだ。苦労自慢のような人生の結果、出来上がってしまった人相なのだろうか。それでも表情を幾分意識して自撮りを終えた。若く美しい世代であれば、どこの角度で撮っても絵になるのだろうが、この醜悪な顔は害悪なのかもしれない。
下りは単調だが、足場が悪いし、片手は刈り払い機を担ぐという役目があるため、気楽に歩けない。つまり、登山は年齢とともに、下山の事も考えて行動する必要がある。下山するのだが、それは目的地に再び帰るための登山でもあるのだ。
まったく誰もいない山道を、スパイク長靴と石の摩擦音だけがあり、その周りには樹木や草があり、ときおり地鳴きする野鳥がいる。この、限られた体力と与えられるであろう僅かながらの報酬のために鬼畜の労働を終えて下山する姿に称賛の声はない。
長い、山道を歩くと懐かしい下山口にたどり着く。車のドアをあけ、荷を積み込み、最後の汗を拭き、車を発進させる時の最高の赦された時間のために、私は労働を終えたのかもしれない。
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