予兆 ―プロフェシー―/岡部淳太郎
、それは既に過去である。それは、予兆されたそれはやって来た。そして人々の間を悠然と歩き回った。人々ははじめて見るそれの姿を驚きの眼差しで眺め、それを予兆した数少ない彼等は、それこそがそれなのだという確認とともにしっかりとそれを見つめた。そして、それは過ぎ去っていき、それは歴史の中で語られることとなった。いったい予兆されたそれとは何だったのか。何がやって来て過ぎ去っていったのか。先程も語ったように、いまの私にそれを示すことは出来ない。ただ一つ言えることがあるとすれば、それが大きな悲しみやあるいは逆にそれまで見たことのないような大きな幸福であったのだとしても、それがやって来て、留まり、そして去っていった後も、人々は変らずにあり、世界もまたそこにありつづけていただろうということだ。
大きな「何か」の到来。それに先駆けての人々の悲しみと疲労。それらのことは、遠い未来の先で繰り返し語られる物語となり、あの頃予兆のうちにあった彼等のことも、やがて同じような数少ない人々によって思い出され、語られてゆくことになるのだ。
(二〇二〇年四月〜五月)
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